縁起

妙善寺について

当山は日蓮宗日通山妙善寺と号し、今を去る三百六十有余年前、徳川三代将軍家光公の寛永四年(1627)に、紀州藩御附家老三浦長門守為春公が大本山小湊誕生寺第20世興善院日為上人を開山として創立された寺であります。

 為春公の妹君は徳川家康公のご側室で、紀州藩主徳川頼宣公と水戸藩主徳川頼房公の御母堂である養珠院お萬の方であり、為春公とお萬の方は共に日蓮宗の熱心な御信者で、当山以外にも多くの事蹟を残されております。

 さて、為春公は遠く鎌倉時代の大豪族である相模の三浦一族の嫡流で、紀伊大納言頼宣公の御教育係から紀州藩御附家老16,300石の地位に登られ、大阪 の陣では武勲勇名を轟かし、一方では『大笑記』『あだ物語』『汚塵集』等幾多の著書も刊行されるという文武両道に卓越したかたでありました。そこで当山で は、法要説教、茶会、歌会、書画会、碁会等が催され、中でも碁の井上因碩家元の碁会が徳川時代を通じて常設されておりましたので、一名〝麻布の碁寺〟とも 称されておりました。この縁もあって境内の墓地には井上因碩家歴代が埋葬されております。

 なお、当山には護身・得財・戦勝を祈る摩利支天様が奉安され、江戸時代に編集された『日本名所図解全集東都歳事記』の5月11日の項に<麻布桜田 町妙善寺・摩利支天祭、17日迄>と記されており、縁日が盛大に催されたと伝えられております。さらに、紀伊頼宣公御寄進の釈尊像も安置されております。

 また、境内の墓地には江戸時代の柔術界を風靡した揚心古流師範・江上司馬之助武経(1748~1795)の墓と、江戸後期の戯作者で『大違宝船』『大悲 千縁本』等の黄表紙本の著者であり、大蔵流狂言師でもあった芝全交(1750~1793/本名は山本藤十郎)の墓も残されています。

当山二十三世 的場 慶雅 記

  • 摩利支天祈願所

    摩利支天祈願所

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